診療雑感
「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、どんな診療を行っていたかをまとめたものです。症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、文章なら私の人間性を語ることができます。
なじみの患者さんが言っていた、「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」とは、ありがたいひと言である。
「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、どんな診療を行っていたかをまとめたものです。症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、文章なら私の人間性を語ることができます。
なじみの患者さんが言っていた、「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」とは、ありがたいひと言である。
顎口腔機能治療部とは先天または後天的な大規模な口腔内欠損の補綴を行う特殊治療室である。そこで新人最初の治療になるのは、上顎洞腫瘍摘出後のオブチュレーター(義顎)が多い。
手術後、口の中を覗くと、上顎の何割かが切除され、副鼻腔から眼窩底までが露出している。話すことも口から水を飲むこともできない。点滴で命をつなぎ、首から胸にかけての包帯が痛々しい。講師の教官から主治医担当の旨を受け、入院病棟に挨拶に出向く。
患者さんの目が語る。
「こんな大がかりな手術とは聞いていなかった。だまされた。」
恨みの眼差しが痛い。
治療室に車イスで移動してもらい、口の中を調べる。
術後の硬直のため指1本分くらいしか口が開かない。歯型が取れない。
ガンジー似の講師の先生に指示を仰ぐと、彼は振り向きもせずに坊主頭に指を当てる(自分で考えろよ!)。
学生時代の知識は通用しないし、通常の保険診療にも当てはまらない。しばらく考えて型を取る道具を口に入る薄さまで削っていく。
ガンジーから「good!」の声がかかる。何度か型取りに失敗する。鼻や喉に材料が詰まり、患者さんがむせって顔を真っ赤にする。自分の無能さに泣きたくなる。
「大きなシリンジがあるだろう!」
とはガンジーの声。
「そうか注射器で材料を上顎洞(鼻の中)に入れるんだ。」
やったはいいが、今度は口の外に出せない。
「メスで切り離して外してからつなげよ!」
およそ2時間で初回終了。患者さんを入院病棟まで送り、帰ってくる。
そこでガンジー教官のゲキが飛ぶ。
「手術を受けた患者さんはこれから絶望と不安の日々を闘っていく。そんな中で水が飲めるようになることが大きな救いになるんだ。オブチュレーターが1日遅れれば1日余計に絶望する。患者さんを助けられるのは君たちの熱意ひとつにかかっている!」
外注すれば完成まで、4~5週間かかる工程を、新人主治医は連日の泊まり込みで毎日工程を進めていく。寝ずの作業で1週間未満のスピードを競う。数日後に完成したオブチュレーター(義顎)を入れた患者さんが術後初めてはっきりした口調でこう言った。
「水が飲めるようになって、やっと生きたいという気持ちになった。頑張ってみるよ。ありがとう、先生。」
こうして数少ない顎補綴のスペシャリストのヒナが誕生していく。
私が研修医の時代は、まだ確たるカリキュラムもなく、ヤル気さえあれば何でも叶う恵まれた時代だった。当然のごとく興味のある矯正科に申し込み、指導教官名に驚いた。
超体育会系のM先生だったのである。恐る恐る指定の日時に外来に出向くと
「質問とやりたいことを紙に書いて30分後にもう一度来い。」
といわれた。
30分後
「リンガルアーチは実習と同じ。これもそう、これも。クラスIの成人D.B.Sがやりたい? わかった。俺が初診受付のときに探しとく。ただ専門医じゃないからって手を抜くなよ! 矯正科のルール通り教授診断も受けろ。それが終わるまでは帰れると思うな! 俺がいないとき分からないことがあったら同期の(専門医の)Fに聞け。」
新患配当を受け、資料作り、模型分析、セファロ分析、診療方針・・・週末は全て矯正オンリーになった。
主治医として担当させていただいたOさんは、瞳も大きな美人で唯一歯並びが悪く、夏前の写真でさえ口唇が閉じずひび割れていた。いつものごとく何とかしたいと闘志が涌く。
教授診断を通り、親知らずも含めた抜歯も、虫歯の治療も全てやらせていただいた。(専門医だったら大学では矯正しかさせてもらえない。)
矯正科の外来に出る日はOさん以外の治療はM先生の指示のもとにやらせていただいていた。毎日行くわけではない上、M先生の怒声もあってなかなか道具のありかさえピンとこない。「バカチン! 遅い。」の日々が続き、矯正科通いはかなり神経も疲れていた。
そんなある日、M先生は診療・指導その他で多忙を極めていた。当然お付きの歯科医は私も含めてビクビクしていた。
「佐藤先生、この患者さんは上下ワイヤー外して16(イチロク)を18(イチハチ)に変えて
パッシブにタイしろよ。シンチバックを忘れずに!」
M先生ならいざ知らず、当時の私では30分ではとてもクリアできない内容だった。
45分ほど過ぎて大爆発が起こった。
「佐藤君、君は勉強しに来ているのかジャマしに来ているのか! どっちだ!! もういい。俺がやる。」
M先生の声が外来中に響き渡った。周りがいっせいにこちらを見た。もうだめだと思った。
M先生が患者さんを連れて受付に向かうと、隣の先生が
「あの人はよくあることだから気にするなよ。」
と声をかけてくれたが、心ここにあらずであった。
「もう無理だ。ただ、このまま消えるのでは失礼になる。」
そう思い、3時半(外来は3時終了)頃、M先生の研究室のドアをノックした。
「おう、入れ。」
「先生、今日は大変ご迷惑を」
と言いかけたところで
「佐藤君、今日は悪かったな。まだ教えていないことをやらせてしまったようだ。」
M先生は机の引出しから矯正ワイヤーをジャラジャラと取り出し、
「君にクリスマスプレゼントをやろう。まず上下アイディアルアーチを20本ずつ、曲げて来い。
このフォームに合わせろよ。少しでも浮いていたらダメだ。」
M先生にとっては1本5分でも、私には1本20~30分かかった。クリスマスどころではなく、冬休み中、コタツのテーブルの上で、ステンレスワイヤーをフォーム通りに曲げ続けた。
曲線はOKでも、指で押さえて少しでも浮くところがあったらNGとなる。それこそ指の皮がむけて「血染めのワイヤー」となった。年明けにM先生の研究室にワイヤーを持参した。先生は形を見て、浮かないかを指で押さえてチェックしていたが、
無表情に
「次はファーストオーダー入れてこい。ケーナインオフセットのカーブにカドをつけるなよ。」
と言った。
翌週、それを持参すると
「忘れないように練習を続けろよ。」
と言って後ろを向いてしまった。
後から思うとその頃からM先生の言葉に変化が出てきたようだ。また、先生は厳しいながらも私が失敗して口腔内撮影のフィルムをダメにしたときも、
「オレが他の先生たちに謝っといたからオマエはもう行かなくていい。」
と言ってくれるやさしさがあることにも、遅まきながら気づくようになった。また、門下生であっても外に出て開業した先生に対しては
「先生、こういうとき開業医ではどういう治療を選択するんですか?」
と尋ねる謙虚さも持ち合わせていた。
私の目はまったくのフシ穴であった。
その後Oさんの治療は進み、でこぼこだった前歯がきれいに中に納まっていった。
そんなある日、M先生と私は同じ一点を見ていた。Oさんの口唇にカラーの入ったリップクリームが塗られていた。初めてOさんが化粧をして外来にやってきたのである。
診療終了後
「おい! 佐藤。やったな!! 今夜は祝杯だ。」
映画「愛と青春の旅立ち」の気分だった。その夜だったか定かではないが、同期の矯正専門医のF先生がこう言った。
「佐藤君が上下20本ずつのワイヤーを持っていったとき、M先生はメチャメチャ感動しとったんだぞ! おかげで俺たちは『専門医ではない佐藤先生が上下20本ずつ曲げてきた。お前ら専門医は今日から100本だ!』ってことになっちまった。」
その後もM先生には御指導いただき、私の開業の際も
「一般医の先生の診療所を見学させてください。」
と言ってお祝いに来ていただいた。
ある日、2人でエレベーターを待っていると、M先生が
「佐藤先生、俺の指導に問題があるのかな? 先生の後、研修に来た先生が5人続けて辞めているんだ。」
「そんなこと絶対にありません。そいつらが生ぬるいだけです。」
アレレ?
治療室に長年通っている女の子がいた。まだ、高校生。
先天性疾患のために、生まれつき歯の数が少なく、上顎の発達が不十分で上の歯が表から全く見えなかった。講師、助教授の先生と担当が変わっていったが、治療方針がおりあわず、とうとう教授担当の患者さんとなった。
ある朝、ぶ厚いカルテケースとともに、通常では考えられない大きさ(長さ)の仮歯の模型が教授の治療ユニットに置いてあった。「今日は仮歯をこれに変えるのか・・・。」受付の先輩衛生士が言った。「タッチャンにNちゃんのお相手が務まるかしら?T先生もU先生も彼女とケンカしてダメだったのよ。彼女のお姉さんはすらっとした美人さんでね。Nちゃんは『なんで私はお姉ちゃんと違うの?私だってきれいな服を着てオシャレをして普通の女の子のように笑いたい!何で私だけ笑ってもかわいい歯が見えないの!?』と言ってね・・・。先生に彼女の心が癒せるかしら・・・。頑張ってね。」
やがて診療が始まった。
診療室に入ってきた彼女の目は、「すべての人を拒絶します。」と言っているようだった。「Nちゃん。今日はあなたの希望通りに仮歯を作ってきました。これを入れて感想を聞かせてください。」彼女は沈黙したまま、じっと仮歯を見すえていたが、やがて治療イスに座って目を閉じた。
初めて口腔内を診察した。そこには通常の大きさよりは長い、ただしとてもきれいな仮歯が並んでいた。
私は思わず「Nちゃん、この歯じゃダメなの?とてもきれいだと思うけど?」と言った。
「先生?普通の女の子は笑ったらウサギチャンみたいにかわいい前歯が見えるものでしょう?私の歯は見えないの?」
ウサギチャンか・・・。
確かに彼女の今の仮歯では、どう笑っても全く見えない。いくらきれいに作ってあっても彼女の外見には全く貢献するしろものではなかった。だから笑わない?
笑わない事に決めてしまったの?
よし!
私の心の中の波動エンジンが静かに動き出した。
「新しい仮歯を入れてみますね。」
模型上では、全くの異形だった仮歯が、彼女の口腔内に入り光を放った。初めて上唇から、仮歯が見えるようになった。これなら、笑顔も作れるんじゃない?Nちゃん。
彼女はアシストのドクターに手鏡を求め、食い入るように鏡の中を見つめた。
その瞳がかすかに変化した。
「今までよりはいいみたい。これ、使ってみます。」
新しい仮歯を仮着して彼女を帰した後、これで前進したかと思ったが、そう簡単ではない事を思い知るのにさして時間はかからなかった。
次の回には「とてもきれいなんだけど、前歯の真ん中が少しズレてるみたい。もっとこっちが真ん中だったらカワイク見えると思うの。」直そうとして即充レジンを用意すると
「ダメ。いじらないで!足したりしたらきれいじゃなくなっちゃう。」
そこで仮歯の入った模型と、仮歯を外した模型を作るために歯型を印象した。そして、仮歯の入った模型に正中(まん中)修正用のマークを入れた。そんな日々が続くうちに、少しは距離が近くなったかと思っていたが、その見通しは甘いと気づかされた。
学内でNちゃんを見かけて声をかけても、彼女は見向きもしない。
・・・外で声をかけないで。歯医者に行ってるのがバレルじゃない。私は歯なんて治していない。・・・
診療室だけで彼女と真正面から向き合うしかない。次の仮歯に専念しよう。
次の仮歯を入れると、「わあ。直っている。使ってみます。」
けれども、その次の診療日になると
「高校生の女の子は犬歯(糸切り歯)がもっときれいにとんがってるの。これじゃあオバアチャンみたい。」
前回と同じように2種類の型をとり、技工士の先生に要望を伝えた。
そしてその次には
「あんまりきれいにならんでいて、なんだか入れ歯みたい。もっと本物らしくしてください。」
次の仮歯は、こわれる可能性が高くなるのを承知の上で表の切れ込みを深くした。そんな仮歯作りが何回も繰り返されたある日のこと、「仮歯では本物の質感が出せない」という教授の判断から、本印象へと進む事になった。
ある日の教授チームの遅い昼食(いつも教授と私は診療の終わる6時頃まで昼食をとっていない)の席で、教授は私に言った。
「あの人はかわいそうなんだ。口元さえきれいになれば、人生が変わると信じている。助けてやってほしい。」
いつもながら信頼とともに重圧が押し寄せる。
佐藤「個歯トレー印象のあとは、ワックストライですか?」
教授「TEK(仮歯)であそこまできているんだ。ビスケット・ベイク(素焼き)からで良いだろう。」
その後、素焼き状態からの度重なる修正にとうとう担当技工士(教官)が悲鳴をあげた。
「これ以上の修正は、ポーセレン(セラミック)の強度を保障できませんよ。」
佐藤「もうグレーズ(ツヤ出し仕上げ)でいくしかありません。リアル(本物)感がないとNちゃんのOKは出ないと思いますよ。」
技工士「グレーズしてしまうと、その後の修正は1.2回が限度ですよ。」
佐藤「どうしてもダメだとなったら、全部(セラミック)を外してしまうことも考えています。」
技工士「ポーセレンもありますが、メタルフレームの方も限界です!」
勝負の完成品が出来上がってきた。だが、しかし、私の心に不安がよぎった。
私は完成品を持って教授室のドアをノックした。
佐藤「大山先生、Nちゃんのケース出来ました。」
教授「おお、そうか、ご苦労さん。」
佐藤「でもこんなに長くて重い歯でいいんでしょうか?」
教授「そうだな。でも、これが彼女の望む歯なんだろう?」
佐藤「口の中に入れれば確かにきれいに見えます。でも(バランスが悪くて)すぐ取れてしまいますよ?(それでもこれが医療といえるのでしょうか?)」
教授「そのときは佐藤、また2人で一緒に作ればいいじゃないか。そうだろう?」
佐藤「・・・・・・」
・・ボス、どこまでも、おともします。・・・
素晴らしいボスがいつも後ろで見てくれていた。その人に少しでも近づきたい。その思いで今も私はさとう歯科医院を運営している。
さとう歯科医院
http://www.satou-client.jp/
院長 佐藤達也
【ブログの主旨】
「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、どんな診療を行っていたかをまとめたものです。症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、文章なら私の人間性を語ることができます。 なじみの患者さんが言っていた、「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」とは、ありがたいひと言である。
【経歴】
1988年 東京医科歯科大学卒業
1988年~1990年 東京医科歯科大学研修医修了(2期生)
1990年~1998年頃 東京医科歯科大学・障害者歯科学講座・顎口腔機能治療部において、大山喬史教授(当時の病院長、現在学長)の指導のもと、教授診療助手のチームリーダーとして、難易度の高い義歯や著名人・芸能人の審美歯科治療を担当。
1991年~1998年頃 障害者歯科学講座・障害者歯科治療部において、有病者の歯科治療。
1992年6月 大田区東雪谷にて開業。
2004年9月 現在住所(隣)に移転。