【大学病院】教授の教え
あれは私が研修医を修了して、医局に戻って間もない頃だったと思う。1週間のうち、2日間は有名な開業医の見学、2日間は教授診療の助手、週1日は自分の患者さんの治療、土曜は研修日、日曜はフリーという特別な扱いを申し出て、前例がないと物議をかもしながらも、多くの先生方のご助力でOKを出していただき、ほっとしていた頃だ。(通常は大学院に入学しない限り、1~1.5回の治療日以外は医局のノルマに埋没される日々だった。)
当時、教授の診療助手は新卒ドクターの定位置だった。新人ドクターでは、まだ右も左もわからないため、しばらくはほとんど手が出せない状態だった。私は、それが診療室のアキレス腱になっていると思い、及ばずながら私に任せてくださいと直訴した。
わずか2年のキャリアの差とはいえ、朝から晩まで昼飯抜きで勤めるうちに、新卒ドクターや研修医、スタッフの信頼も得られるようになった。そんなある日のことである。いつものように診療は遅れ、およそ予約より1時間半オーバーとなっていた。
さすがに私ひとりでメインの部分を行うには無理だと判断し、ポスト形成後のシリコーン印象を研修医の女性の先生に依頼した。すでに数回は技術の見学をしてもらっており、多く見積もっても30分もあればできるのではないかと考えた。ところが何度印象してもポストの先まで印象材が入っていかない。1時間をはるかに越えた頃、彼女の持ってきた印象は初めて先まで採れていた。
ただし、シリコンの練和が不十分だったためか、先端のわずかの部分が十分硬化していなかった。時間も1.5時間ほどたっており、再チャレンジして100%を狙うよりは先端部分を無視して(切断、トリミングして)メタルコアを作ってもらう方が良いのではないかと考えた。そこで、先端のみをわずかにカットし、その印象で製作依頼書を書くように彼女に指示を出した。
その時だった。教授が診療室の横を通りかかったのである。純粋で勉強熱心だった彼女(研修医)は、先程の印象を教授に見せて指導をあおいだのである。
教授は秘書に次の予定を修正するように指示し、外来に入って自ら先程のポストの印象に取りかかった。
印象を採り「これを技工部に提出しなさい。」と彼女に声をかけ、足早に次の予定に向かった。私に声をかけることもなく・・・・・。
この無言の教育は効いた。心底こたえた。
「佐藤、まだ真っ白な新人に手抜きを教えてはいけない。ベストな治療だけを見せてくれ。」そう言われたように感じた。(そうだ。楽をする方法は、放って置いても憶えていく。仮にも教授の診療を代表する人間がそんなものを見せてはならない。)
また、次のようにも考えた。
一般に教授と言われる人の治療技術が高いのは何故だろうか? 多くの助手がついて手際よくできるからうまくなるのだろうか?
いや、違う!
1番するどい視線に常にさらされていて手を抜くことが許されないから、うまくならざるを得なかったんだ。
以来、私は歯科助手や衛生士よりも若手のドクターを助手につけるようになった。そして現在もそれを続けている。