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2011年12月22日

友人より、矯正志望の患者さんの紹介があった。
手順、期間、治療費と説明したが、決心がつかぬようだった。

帰り際の彼女の言葉
「矯正装置をしていたら、相手はキスのとき痛くないでしょうか?
私の30代がかかっているんです。どうか教えてください!」

後年私は自分自身も非抜歯矯正をうけたが、単に患者さんの痛みを知るためだけではなかったように思う。

2011年12月21日

知人の女性が前歯2本のセラミック治療を希望して来院した。
「先生、私にいい人ができるような歯にしてください。もう29なんです。真剣なんです。」

No.1の技工士さんのところへお願いに行きましょう。
職人さんも直接頼まれたら、イキに感じるでしょうから。
手作りのお菓子なんかあるとなおいいと思うけれど。」

数日後、アップルパイを持った彼女と、診療後に技工所を訪問することになった。
アップルパイと彼女を見た技工士さんは、本当にビックリしていた。
真剣に色・型を選んで提案していた。

私が忘れていた頃、その歯を入れた彼女から、入籍を知らせる年賀状がとどいていた。

2011年12月13日

大山教室での4年間を終え、開業するに当たって自分の実績を示すデータが欲しいと思っていた。
そこで教授に自分の治療させていただいた患者さんの口腔内スライドをコピーさせていただけないかと相談した。
彼の返事は
「君が実際に担当したんだから、全てよろしい。」
というものだった。意気揚々とスライドをセレクトし、開業予定の自院に持ち込んだ。

そんなある日、残っていた難しい治療の患者さん(私が手を下した大掛かりの治療の患者さんは、開業後も長い間木曜日に大学で診療していた。)から、昔の話を聞いた。
彼女は顎顔面部の大きな外傷を受けており、当時の記憶は定かではないようだった。受傷後、外科的な大手術を受け、その後歯科にも来院していた。

「私、ショックでした。本の検索をしていたら偶然形成外科の学会誌を見つけてしまい、そこで私の病名を知って・・・。形成外科の先生を本当に信頼しておりましたのに、複雑な思いです。」

私は自分のいたらなさを痛感した。
私が自慢したかった大掛かりな治療とは、患者さんにとっては、消し去りたい過去でしかなかった。以来、私のスライドは埃をかぶったままである。

2011年12月 8日

そのご婦人は、ご主人に連れられて来院した。
以前、私がご主人の義歯を作っており、常々「女房の体調が良くなったら連れてきますから。」
と言っておられた。
ご病気の為か、あまり表情がなく、また長時間口を開けたり、座っているのは困難な状態であった。技術的なことは経験から何とでもできる。大学病院障害者歯科では脳梗塞や心筋梗塞のあった方の心拍、血圧、脈の乱れ、血中酸素飽和度等をモニターしながら(医科歯科大学でさえ麻酔医がつく余力がないので)横目と耳を使って診療していたのだ。

問題は心だった。なんとか、少しでも癒して差し上げられないものか?
わずかな会話の中にヒントがあった。
「先生、サユリチャンてかわいらしいわよねえ?」
この方にとってのサユリチャン?
「吉永さん?ですか?」
「そうよ。口元がウサギチャンみたいでかわいらしいと思わない?」
これだ!吉永小百合さんの笑っている写真をさがした。少なくとも最近は歯の見える写真はない。

後日、ロウ義歯試適(洋服の仮縫いのようなもの)の際、私は技工士の並べた歯を少し手直しした。若い頃の吉永小百合のような歯並びを作ってみたのだ。
「いかがでしょうか?」
私は手鏡を差し出した。
彼女の目に光がともった。
「あら、まあ!」
「あなた見て、どうかしら。」
「おお、おお、似合うよ。とても綺麗だよ。」

わずかばかりのお手伝いができたかもしれない。

2011年12月 7日

大学病院時代、教授の患者さんで高名な女性占い師がいた。
全盛期時代は三越本店をはじめ多くのデパートで占い教室を持ち、テレビ番組もあったという。
ある日担当させていただいたところ、非常に気にいっていただけた。
「先生うまいわ!他の若い先生と違う。名前観てあげる。」
「あんた、すごい優秀、頭も切れるわね。」
石川台で開業した後も来院していただき、
「わざわざ遠くからお越しいただき、ありがとうございます。」
と言ったところ
「冗談じゃない!私は忙しいの。お世辞で来る気なんかありゃしない。あんたの腕を見込んで来たのよ。大学に残っていたって別の若い先生たちが担当医になるんでしょう?」
そう言いつつも返す刀でという言葉があるように、ウチのスタッフを勧誘する。
「主婦だってお金が必要でしょう?占いを習ってお小遣い稼ぎしない?」
誰も乗り気にならないので、私が恐縮してしまった。元来、人がやらないことで世の中に必要だと思ったことをやりたいタチである(タダの変人か?)。男性占い師で表に立つ人もあまり見られないようにも思った。
「先生、私が習ってはダメですか?」
「あら先生?いいわよ。何曜日が都合がいいの?」

以降デパートのカルチャーコース(初級)から始まり、医院が1Fに移転するまで14年間程ご自宅で指導を受けた。その間、主催する教室の理事や「日本占術協会」の会員にも推薦していただいた。
たまに「歯科医師免許」ではなく「占い師免許」を掲げたい気分になるが、初めての方にとってはあまりにも怪しすぎるので自重している。
お付き合いの長い方や、お困りの方にさりげなくお伝えするようにしている。

ある日のこと、古くからの患者さんが来院された。
「原宿の美容師さんから『あなたの家の近くに良く当たる占い師さんがいる』って聞いたんだけど、先生のことなんですか?」
「そんな所まで?ああ、その人なら前に観たことがあります。ご両親が相談にいらしてね。」
彼女の場合、最初は「別に何も」とか「今年の運勢」とか言っていたが、雰囲気から先があるとみて休憩時間も続けた。
ついに出てきた核心は「永すぎた春」を「ハッピーエンド」にしたいというものだった。

こういう決断の場合は「易」が相応しい。厳しい解答でも受け止めてくれるか、他の方法で流れをお伝えする方が良いのか尋ねたところ、迷った挙句であったが決断したいとのこと。
「易」は普通はぜい竹という竹の棒でやるが、場所をとるし、かさばるので中級者以上が使える(らしい)サイコロを使った。

出た掛は「地天泰五爻」

「とてもはっきり出ました。○○○してください。すぐにやらないとダメですよ。」
「はい、わかりました。やってみます。」

彼女の行動力は素晴らしかった。
翌日、彼女の母親からお礼の言葉と立派な果物をいただいたのであった。

さとう歯科医院
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さとう歯科医院 院長 佐藤達也

さとう歯科医院
http://www.satou-client.jp/
院長 佐藤達也

【ブログの主旨】

「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、どんな診療を行っていたかをまとめたものです。症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、文章なら私の人間性を語ることができます。 なじみの患者さんが言っていた、「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」とは、ありがたいひと言である。


【経歴】

1988年 東京医科歯科大学卒業

1988年~1990年 東京医科歯科大学研修医修了(2期生)

1990年~1998年頃 東京医科歯科大学・障害者歯科学講座・顎口腔機能治療部において、大山喬史教授(当時の病院長、現在学長)の指導のもと、教授診療助手のチームリーダーとして、難易度の高い義歯や著名人・芸能人の審美歯科治療を担当。

1991年~1998年頃 障害者歯科学講座・障害者歯科治療部において、有病者の歯科治療。

1992年6月 大田区東雪谷にて開業。

2004年9月 現在住所(隣)に移転。