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2011年12月23日

治療室に長年通っている女の子がいた。まだ、高校生。
先天性疾患のために、生まれつき歯の数が少なく、上顎の発達が不十分で上の歯が表から全く見えなかった。講師、助教授の先生と担当が変わっていったが、治療方針がおりあわず、とうとう教授担当の患者さんとなった。

ある朝、ぶ厚いカルテケースとともに、通常では考えられない大きさ(長さ)の仮歯の模型が教授の治療ユニットに置いてあった。「今日は仮歯をこれに変えるのか・・・。」受付の先輩衛生士が言った。「タッチャンにNちゃんのお相手が務まるかしら?T先生もU先生も彼女とケンカしてダメだったのよ。彼女のお姉さんはすらっとした美人さんでね。Nちゃんは『なんで私はお姉ちゃんと違うの?私だってきれいな服を着てオシャレをして普通の女の子のように笑いたい!何で私だけ笑ってもかわいい歯が見えないの!?』と言ってね・・・。先生に彼女の心が癒せるかしら・・・。頑張ってね。」

やがて診療が始まった。

診療室に入ってきた彼女の目は、「すべての人を拒絶します。」と言っているようだった。「Nちゃん。今日はあなたの希望通りに仮歯を作ってきました。これを入れて感想を聞かせてください。」彼女は沈黙したまま、じっと仮歯を見すえていたが、やがて治療イスに座って目を閉じた。

初めて口腔内を診察した。そこには通常の大きさよりは長い、ただしとてもきれいな仮歯が並んでいた。
私は思わず「Nちゃん、この歯じゃダメなの?とてもきれいだと思うけど?」と言った。
「先生?普通の女の子は笑ったらウサギチャンみたいにかわいい前歯が見えるものでしょう?私の歯は見えないの?」

ウサギチャンか・・・。
確かに彼女の今の仮歯では、どう笑っても全く見えない。いくらきれいに作ってあっても彼女の外見には全く貢献するしろものではなかった。だから笑わない?
笑わない事に決めてしまったの?

よし!
私の心の中の波動エンジンが静かに動き出した。
「新しい仮歯を入れてみますね。」
模型上では、全くの異形だった仮歯が、彼女の口腔内に入り光を放った。初めて上唇から、仮歯が見えるようになった。これなら、笑顔も作れるんじゃない?Nちゃん。

彼女はアシストのドクターに手鏡を求め、食い入るように鏡の中を見つめた。
その瞳がかすかに変化した。
「今までよりはいいみたい。これ、使ってみます。」
新しい仮歯を仮着して彼女を帰した後、これで前進したかと思ったが、そう簡単ではない事を思い知るのにさして時間はかからなかった。

次の回には「とてもきれいなんだけど、前歯の真ん中が少しズレてるみたい。もっとこっちが真ん中だったらカワイク見えると思うの。」直そうとして即充レジンを用意すると
「ダメ。いじらないで!足したりしたらきれいじゃなくなっちゃう。」
そこで仮歯の入った模型と、仮歯を外した模型を作るために歯型を印象した。そして、仮歯の入った模型に正中(まん中)修正用のマークを入れた。そんな日々が続くうちに、少しは距離が近くなったかと思っていたが、その見通しは甘いと気づかされた。

学内でNちゃんを見かけて声をかけても、彼女は見向きもしない。

・・・外で声をかけないで。歯医者に行ってるのがバレルじゃない。私は歯なんて治していない。・・・

診療室だけで彼女と真正面から向き合うしかない。次の仮歯に専念しよう。
次の仮歯を入れると、「わあ。直っている。使ってみます。」
けれども、その次の診療日になると
「高校生の女の子は犬歯(糸切り歯)がもっときれいにとんがってるの。これじゃあオバアチャンみたい。」
前回と同じように2種類の型をとり、技工士の先生に要望を伝えた。
そしてその次には
「あんまりきれいにならんでいて、なんだか入れ歯みたい。もっと本物らしくしてください。」

次の仮歯は、こわれる可能性が高くなるのを承知の上で表の切れ込みを深くした。そんな仮歯作りが何回も繰り返されたある日のこと、「仮歯では本物の質感が出せない」という教授の判断から、本印象へと進む事になった。

ある日の教授チームの遅い昼食(いつも教授と私は診療の終わる6時頃まで昼食をとっていない)の席で、教授は私に言った。
「あの人はかわいそうなんだ。口元さえきれいになれば、人生が変わると信じている。助けてやってほしい。」

いつもながら信頼とともに重圧が押し寄せる。

佐藤「個歯トレー印象のあとは、ワックストライですか?」
教授「TEK(仮歯)であそこまできているんだ。ビスケット・ベイク(素焼き)からで良いだろう。」

その後、素焼き状態からの度重なる修正にとうとう担当技工士(教官)が悲鳴をあげた。
「これ以上の修正は、ポーセレン(セラミック)の強度を保障できませんよ。」
佐藤「もうグレーズ(ツヤ出し仕上げ)でいくしかありません。リアル(本物)感がないとNちゃんのOKは出ないと思いますよ。」
技工士「グレーズしてしまうと、その後の修正は1.2回が限度ですよ。」
佐藤「どうしてもダメだとなったら、全部(セラミック)を外してしまうことも考えています。」
技工士「ポーセレンもありますが、メタルフレームの方も限界です!」

勝負の完成品が出来上がってきた。だが、しかし、私の心に不安がよぎった。
私は完成品を持って教授室のドアをノックした。
佐藤「大山先生、Nちゃんのケース出来ました。」
教授「おお、そうか、ご苦労さん。」
佐藤「でもこんなに長くて重い歯でいいんでしょうか?」
教授「そうだな。でも、これが彼女の望む歯なんだろう?」
佐藤「口の中に入れれば確かにきれいに見えます。でも(バランスが悪くて)すぐ取れてしまいますよ?(それでもこれが医療といえるのでしょうか?)」
教授「そのときは佐藤、また2人で一緒に作ればいいじゃないか。そうだろう?」
佐藤「・・・・・・」

・・ボス、どこまでも、おともします。・・・

素晴らしいボスがいつも後ろで見てくれていた。その人に少しでも近づきたい。その思いで今も私はさとう歯科医院を運営している。

2011年12月19日

口腔外科と矯正科の両方に出入りしていた関係で、矯正医から埋伏した親知らずの抜歯を依頼されることが多かった。
あるとき、抜歯1週間後の抜糸の際「会計を済ませてお薬を頂く前に麻酔が切れてしまい、痛くて大泣きしてしまいました。」と言われた。

大学生の女の子に大変な思いをさせてしまったと後悔し、以来ポケットに痛み止めを常備するようになった。研修医修了直前、自分の完全埋伏親知らずを抜こうと思い立った。上司の教官でなく、同級生であれば私の手技に近いだろうし、実際私の患者さんが受けた苦痛と同等ではないかと考えたのだ。
その後、麻酔が切れるまで待った。
「来た!」
痛み出してから「ポンタール」を内服。
15分経っても痛みが増すばかりで「ボルタレン」を内服した。
その30分後、もはや歩く震動すら耐えられなくなり、
最後に「ロキソニン」を内服し、それから30分、ようやく歩けるようになった。

こんな思いを2度と患者さんにさせぬように神様は教えてくれたのだと思う。

2011年12月18日

教授チームのトップにいたころ、モデルやタレントの女の子の患者さんも少なくなかった。
ある時、1人の女の子がかなり遅れてやってきた。大きな目を真っ赤にしてふさぎこんでいる。

佐藤「何かあったの?」
モデル「・・・」
佐藤「泣いたんだ・・・」
モデル「・・・」
佐藤「寝てないんじゃない?」
モデル「別に先生には関係ないことですから」
佐藤「寝てないんじゃ麻酔の注射は良くないね」
モデル「・・・」
佐藤「彼のこと・・・?」
みるみる真っ赤な目が水浸しになった。
モデル「こんなこと、言うつもりじゃなかったのに・・・」
ここからは大泣きになってしまった。
モデル「私たち、もうダメなんです。」
モデル「こんなのヤダ~。」
佐藤「うん、うん、それで?」
一通り話を聞いて、
「大丈夫。彼ももう落ち着いているよ。部屋に帰っていると思うから、電話を入れてごらん。待っているから。」
10分程して笑顔の彼女が戻ってきた。
「先生の言った通りでした。これが最高の治療ですね!

やれやれ、ほっとしたと思いつつも、時間外の洗い物をする衛生士さんの金属の擦れる音が一段高いことが恐ろしい。

「またやっちゃったなー。」

2011年12月17日

研修医修了後に学外に出る友人がいた。彼の患者さんリストの中に弁護士希望の女子大生がいた。決して有名法科ではないながら、大学卒業後に予備校に入り、司法試験を目指すという。
今も昔も私はそういうのに弱い。
「J子ちゃんをちょうだい。」と友人にお願いして、引継ぎをしたのはいいものの、私個人の治療日と彼女の大学のカリキュラムが咬み合わない。意を決して会ったこともない彼女の親に宛てて長文の手紙を出した。

<手紙の内容>
彼女の大きな志に比べてお口の中の状態の悪さに何とかお助けしたいと思います。本当だったらこの歯を助けて、本当だったらこの歯を抜いて、親知らずを移動させ、矯正を含めて大掛かりな治療が必要です。彼女の試験本番のときに歯が痛んで困るような事態は何としても避けたいのです・・・。

幸いにしてか、あきれられてか、OKの返事をいただいた。
ただし、特殊治療室で普通の女の子が矯正治療まですることになった。
掟破りの進退をかけた治療は、その後も次々と舞い込み、私のトレードマークとなってしまった。

2011年12月15日

今日も診療室でモデルの女の子が彼氏の話に夢中になっていた。
「Mはね、カートのドライバーでね。腕はいいんだけどお金がないから、優勝できないんだ。ジャニーズのAなんかどうせ道楽のくせにいいマシンでさ...。」
「Mはね、友達の車が故障したからって、自分の車の部品を外して貸してあげちゃうんだよ。
自分がレースに出れないじゃん!」

「でも、君はそんな彼が好きなんだよね。」
彼女は大きくうなづいた。

そんなある日...。
「Mが歯が痛いんだって。でも歯医者なんか行きたくないって言ってるの。どうしよう? 先生助けて!」
私は小さなメモ用紙にコメントを記入して彼女に渡した。
「これを彼に渡してごらん。君が言うような人だったら必ず私に会いに来るから。」
「本当? こんなメモぐらいでMが歯医者になんか来るの?」

彼はすぐにやって来た。
「あんなこと言われちゃ、来ない訳にいきません。覚悟してますからよろしくお願いします。」
立派な体格の男は痛みに弱い。
治療イスの上でも体がこわばっている。私はいつものように緊張を和らげるような会話をしながら痛みのない麻酔をした。

驚く彼を尻目に痛みもなく手際よく初回の治療を終えた。
彼の目に感動の文字が光っている。

数回の治療でスッカリ信頼関係を結んだ彼が言った。
「あいつ(モデルの女の子)色々問題ありますけど、根はいい女なんでこれからも守ってやってください。お願いします。」

やれやれ、俺は男にはいつも強いんだよね...。

2011年12月14日

ある日、アジア系の男性のカルテがあった。日本の美大での研究を終えて帰国し、母国で教授のイスが予定されているという。ところが交通事故に遭い、下の前歯を5本連続で失ってしまった。もはやBr(ブリッジ)適応ではない。
当科講師の先生がCo-Cr(コバルト・クロム合金)の金属床義歯を作ったが、彼は納得しなかった。
「オーノー! これは私の歯ではない。」
それゆえ、教授患者として予約されたのだ。
教授室に報告に行くと、教授は難しさを察して外来に出てきてくれた。

「Kさん、この金属がダメ?」
「そうです。私の歯に金属はついていなかった。」
「じゃあ取ろうか。」
と言ってクラスプをいとも簡単にニッパで切断してしまった。
すごい握力である。
「佐藤先生、『マル模(研究模型)』をとってTEKを作ってもらおう。」
「コーヌスですか?」
「ああ。」

ここからは私の出番。その後コーヌス・クローネ式のクラスプ(バネ)のない義歯を完成させsetの日をむかえた。ここでKさんがまだ納得いかない。
「これ何? 私の歯にこんなのいらない。」
着脱用のノブが気に入らないらしい。またもや教授に来てもらい、指示を仰いだ。
「じゃあKさん、これも取ろうか。」
ノブを切断、研磨してコーヌスデンチャーを装着。
「オー、ドクター。やっと私の歯になりました。」

私の型破りも大山先生の影響を強く受けていると思う。

【大学病院】診療編
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さとう歯科医院 院長 佐藤達也

さとう歯科医院
http://www.satou-client.jp/
院長 佐藤達也

【ブログの主旨】

「診療雑感」は、私が過去にどのようなことを感じ、どんな診療を行っていたかをまとめたものです。症例写真だけでは技術をお見せすることはできませんが、文章なら私の人間性を語ることができます。 なじみの患者さんが言っていた、「何かあったら、(佐藤)院長が出てきてくれるんだから、俺は今の先生を信頼してお任せしていますよ。」とは、ありがたいひと言である。


【経歴】

1988年 東京医科歯科大学卒業

1988年~1990年 東京医科歯科大学研修医修了(2期生)

1990年~1998年頃 東京医科歯科大学・障害者歯科学講座・顎口腔機能治療部において、大山喬史教授(当時の病院長、現在学長)の指導のもと、教授診療助手のチームリーダーとして、難易度の高い義歯や著名人・芸能人の審美歯科治療を担当。

1991年~1998年頃 障害者歯科学講座・障害者歯科治療部において、有病者の歯科治療。

1992年6月 大田区東雪谷にて開業。

2004年9月 現在住所(隣)に移転。